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新聞記事を楽しむ46

~二つの文章と陶磁器~

年末、昔ながらの餅つきも終えたので、つねづね家族から汚い、部屋が狭くなると不評を買っている陶磁器や漆器の収集品を整理することにした。始めるとつい共箱を開けてしまい、手に取って口作りや底の土質など眺めて、一定の技法に基づき焼かれている特徴を見つけ出したり、素材や作者の背景を連想したりして楽しんでしまった。その結果、捨てることのない移動だけに終わってしまった2日間だった。しかし印象深い二つの文章を実感した気がした。

その文章は、クリスマスの週に、「日本の陶磁」全14巻や「骨董夜話」、「茶人」、「日本の住まい」など部屋の隅に積んでおいた本の中から取り出して読んだ。その一冊、「骨董夜話」の文中に、白洲正子さんが「それほどお金がないために、安い所で我慢しているが、堀出し物にはまったく興味がない。そんなものを狙うより、好きなものを買うことだ。買って、つきあってみることだ。それがおのずから掘出しになれば、こんな仕合せなことはない。ほんとうの『堀出し物』とは、物に即して、自分の眼を、心を、掘り出すことではないのか、この頃私はそう信じるようになった」と書かれていた。また、12月16日の【熊日論壇】に熊本大学、苫野一徳准教授が、「さまざまな問題に対する鍛え抜かれた答え、哲学の英知を、もう一度、一般の人たちの手に取り戻したい。哲学とは何か。私は『本質洞察に基づく原理の提示』と言っている。さまざまな問題を解き明かすための『原理』(深い考え方)を出す。例えば、そもそも教育とは何かという『本質』が洞察できれば、ではそのような教育をどう構想していくべきかの『道理』もまた解明することができる」と述べられていた文章だった。掘り出す目、本質を理解する気持ちを促す収集癖も捨てたものではないと勝手に解釈した。家族には、五木寛之さんが、「自分の好きな物に囲まれ雑然とした雰囲気も素敵なものだ」と言っていたと説明してみた。

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