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多良木町指定文化財「久米治頼神社社殿及び木造男女神坐像」

相良治頼(はるより)は人吉藩16代当主義滋に仕え、八代の土地を管理していました。優秀で多くの人に信頼され、慕われていましたが、優秀であるがゆえ、相良家の家臣の中に義滋への謀反(国や主君にそむいて兵を挙げること)を治頼にそそのかす者も現れました。天文14年ついに治頼は40人の部下をつれて、謀反を企てることを決意しました。しかし、そのことが義滋に知られたために、あらゆる地を移動しましたが多良木にて、治頼勢は過半数が討死したそうです。その後、転々とし豊後へ移住しますが天文15年に33歳という若さで亡くなりました。ほどなく義滋も亡くなり、17代当主晴広は治頼とその母の霊を祀らせるため、天文18年に治頼神社を5社造らせました。久米治頼神社は、御霊信仰(怨霊を鎮めて祟りをまぬがれ、平穏と繁栄を願う信仰)のもと、逃走先となった久米に建てられた神社です。

木造男女神坐像 木造男女神坐像
相良治頼夫妻の像で、天正7年、常州の賀吽坊作です。男神は風折烏帽子に直垂姿、衣裳は市松模様、胸のあたりに梅花の大紋がみえ、右手で扇を持ち、腰に刀を帯びて座り、女神は、桃山風の羽衣姿で両手を隠して座って居ます。

 

狛犬左 狛犬右

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