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新聞記事を楽しむ60

~東日本大震災9年の記事から~

11日の朝、庭の菜の花畑に、モンシロチョウ、ミツバチが盛んに花の上を動き回り、春風が花の甘い香りを一面に漂わせていた。美しい。心が明るく幸せな気持ちに浸った。

さっそく、朝刊を開いて読み始めた。すると、俳人、高野ムツオさんの「東日本大震災9年」の記事が目に留まった。「東日本大震災から9年目を迎えた。立春が過ぎても時折舞う雪に、今も悲しみに沈む無数の人々の姿が浮かび、追悼の思いを深くする日々は続く。だか、今年は加えて、いつもとは異質の不安が憑いて回る。新型コロナウイルスのせいである。自然の摂理の回路がどこかで崩れ始めたのではないか。この出来事には9年前の原発事故がどうしても重なる。ウイルスも放射線も目には見えない。先行きもまるで見えない。さらに、情報の隠蔽から深刻な事態が始まっているところなど、よく似ている。足尾鉱毒事件や水俣病を始めとした公害をも連想させるのは私一人ではないだろう。これらは自然災害ではない。人間が人間に害をもたらし、それが深刻化した。自然以上に人間が怖ろしいと感じる不条理におののく」と述べられていた。読み返し、追悼の思い、情報の隠蔽、人間の不条理が気に留まり、新聞から目を離して考えてみた。

すると、現在起きている「society5.0」のデジタル技術革新に懸念が生じた。ネットワークの活用により、時間と場所にとらわれずに活躍できる、その範囲が格段に広がっている。近くにいなくても、オンラインで画像と音声をつなげば、直接会話や議論ができる。後でアップされた資料を途中で止めて聴き返したり、考えたりする時間をとることで、より充実した学習を可能にできる。しかし、対面や、物を手で触る、自然を感じるなど実体験の不足に陥る気がする。その結果、マスクを買い集め転売するなど、助け合う、追悼する気持ちが抜け落ちた不条理な行動が平気になる怖れもある。庶民の生活文化や、伝承された技術の理解も大切だと思った。

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