熊日多良木・湯前販売センター(有)小出忠新聞店

新聞記事を楽しむ62

~桃、ぶどうの木と北京ダックから~

休校が5月末日まで延長され、連休5日間は7日から始まる家庭学習の教材を作成しながら、連日朝早くから南稜高校の農場で、桃、ぶどうの手入れをされている先生の手伝いをして過ごした。わが家の20年ほど育った桃の木から、未だに一個の収穫もなく、どうすれば桃が収穫できるのか学びたい思いがあった。植木市やホームセンターで苗木を購入し、植えると花が咲き、実になり、育ち、収穫できると簡単に思っていた。見まねで剪定したり、袋掛けを試してみたけど、収穫にはたどり着かなかった。

ところが、4月から始めた桃の摘果、ぶどうの手入れ、草刈りの手伝いで、果実の成長や変化を判断されて、てきぱきと手入れされる姿を眺めながら、果樹についての知識と本質が抜け落ちていたことに気がついた。また、桃の摘果をしている時、農業の先生が「桃の木もぶどうの木も、私たちの足音を聞き喜んでいるのですね。足音の数に応えてくれますね。私たちは少し手助けするだけで、あまり木々の力になっていませんが」と物静かに話された。え、経験から学んだ本質も知らずに、薄い知識で話している自らにすごい嫌悪感を覚えた。そして、木が雨、日光、気温や携わる人の気持のリズムで成長していく樹形に目を見張った。さらに、小さな、ささやかな中に大事なものが含まれていることを感じながら、自然からの恵みをいただき、自然のリズムとつながり、生ることがとても大切ではないかと思い及んだ。

4月から始めた南稜高校の農場での桃やぶどうの摘果の経験が、今日の新聞(10日)のレジャー・旅の面、屋久島ものがたりの記事、「安房川に渡り鳥の北京ダックの家族が、寒くなると、どこからともなくやってきて、春の香りが漂う頃にいなくなってしまう。一斉に飛び立ったかと思うと一羽ずつ、順序よく、水面に降りてくる。生き物たちの中に確かに刻み込まれているのであろう野生のリズムに、心が奪われてしまう。」に重なった。

新聞記事を楽しむ61

~あらためて新聞の活用を整えて~

40日間の休校でスマホゲームに夢中になり、活字離れが進んだのではないか。また、居間でメディアに熱中して、フェイク(まやかし)の情報で人間嫌いになってはいないか、少し心配でもある。そうこう思いながら、庭のツワブキを眺め、13日(月曜日)から始まる新年度の教材に積極的に取り入れる新聞の活用を改めて考えてみた。前提は、「公平な視点が読者の自分なりの思考を深めていく手掛かりになる。賛成があれば反対もある。『公平な資料』を準備し論じる」こととした。新聞の効用を整理した。

①「文字に楽しく慣れる」の形成
難しく思えるような漢字があり、読めたとしてもその意味がなかなか把握できなかったりする。そんな時、「まだ学校では習っていません」で終わらせないで、「この漢字は何と読むの」、「この漢字はどんな意味なんだろうね」と記事をもとに支援の「会話」をすることで、文字に対する興味と関心が培われていく。

②「社会について考える力」の形成
たとえば、「コロナウィルス感染で収入減少世帯に30万円現金給付」の記事から、「君にはどのような影響があるか」を問いながら、政治にしても経済にしても、最終的には私たちの生活に結び付いていることが深く理解できる。

このように「新聞」と「対話」を用いて、「子どもがどこまで理解できているか」、「子どもは社会に対してどのような考えを持っているのか」など、しっかり把握して、次へ上へと引き上げることで社会への興味と関心が培われていく。

③「少ない情報で多くを理解する思いやる道徳」の形成
4コマの漫画記事から、「そこに登場する人物はなぜ笑っているのか、なぜ怒っているのか」など表情を捉える。また「なぜこの人物はこんな言葉を言ったのか」とその状況を判断するなど、思いやり、善悪を判断する規範意識に興味と関心が培われていく。
つまり新聞は「公平」、「文字」、「社会」、「道徳」を培う「学びの書」と効用を整えた。

新聞記事を楽しむ60

~東日本大震災9年の記事から~

11日の朝、庭の菜の花畑に、モンシロチョウ、ミツバチが盛んに花の上を動き回り、春風が花の甘い香りを一面に漂わせていた。美しい。心が明るく幸せな気持ちに浸った。

さっそく、朝刊を開いて読み始めた。すると、俳人、高野ムツオさんの「東日本大震災9年」の記事が目に留まった。「東日本大震災から9年目を迎えた。立春が過ぎても時折舞う雪に、今も悲しみに沈む無数の人々の姿が浮かび、追悼の思いを深くする日々は続く。だか、今年は加えて、いつもとは異質の不安が憑いて回る。新型コロナウイルスのせいである。自然の摂理の回路がどこかで崩れ始めたのではないか。この出来事には9年前の原発事故がどうしても重なる。ウイルスも放射線も目には見えない。先行きもまるで見えない。さらに、情報の隠蔽から深刻な事態が始まっているところなど、よく似ている。足尾鉱毒事件や水俣病を始めとした公害をも連想させるのは私一人ではないだろう。これらは自然災害ではない。人間が人間に害をもたらし、それが深刻化した。自然以上に人間が怖ろしいと感じる不条理におののく」と述べられていた。読み返し、追悼の思い、情報の隠蔽、人間の不条理が気に留まり、新聞から目を離して考えてみた。

すると、現在起きている「society5.0」のデジタル技術革新に懸念が生じた。ネットワークの活用により、時間と場所にとらわれずに活躍できる、その範囲が格段に広がっている。近くにいなくても、オンラインで画像と音声をつなげば、直接会話や議論ができる。後でアップされた資料を途中で止めて聴き返したり、考えたりする時間をとることで、より充実した学習を可能にできる。しかし、対面や、物を手で触る、自然を感じるなど実体験の不足に陥る気がする。その結果、マスクを買い集め転売するなど、助け合う、追悼する気持ちが抜け落ちた不条理な行動が平気になる怖れもある。庶民の生活文化や、伝承された技術の理解も大切だと思った。

新聞記事を楽しむ59

~自分の力を取り戻そう~

昭和34年、平凡社から発行された日本残酷物語の「1・貧しき人々のむれ」に、明治の中ごろまで、東北地方の山村の農民の中には、収穫が少なく娘が一家の犠牲となって売られていった。その潮どきを見計らって、待っていましたと、男の子でも、女の子でも12,3歳になった子どもを、最上地方から人買い老婆がやってきて買っていった。その子どもらを連れまわし、奉公先の買い手を求めて歩いていた、やからの史実が書かれていた。理不尽な環境で、貧しさと悲しさとの苦難に耐えながら日常を暮らしていた事実も描かれている。昔の農民のくらしを悲痛な思いで読み終えた。

そんな時、コロナウィルスの拡大を受け、マスクが品不足でみんなが困っている。それに便乗しマスクを買い集め、通販サイトで5倍の高額な価格で売るやからの報道がなされていた。金儲けだけの価値判断でしかない。一方で、昭和53年秋田県大曲市の農民の暮らしを写真で綴った「米つくりの村」の本に、老農が「百姓はただ働くことによって生きてきた」と語り、農業青年は「この写真に写っている私は、まだ赤ん坊です。あれから三十年近く経ちました。現在の私は自動車もいらないし、金を儲けようと思いません。親たちと一緒に田圃で汗を流し、豚の世話をすることに生きがいを感じています。洋服なんかは他人のお下がりで充分です。去年買ったのは中古のステレオと本箱だけでした。私の使命は、害のない農畜産物を作って消費者に届けることです」と素直な生き方を語っていた。

2月4日の新聞に、元第8代国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが、「高等弁務官の最大の仕事は決断することで、判断の根っこにあるのは、人の命を重んじる人間第一の思想。生きていさえすれば、次のチャンスが生まれる。心に決めたら、突き動かされるように行動する。『何かをしないとならないでしょう?したくなるでしょう?理屈ではないのです』」と語られた記事があった。

新聞記事を楽しむ58

~お茶と椿からつれづれに~

張り替えたばっかりの障子に、爪痕でぽっかりと穴を開けた犯人であろう、三毛のハナが、横に長く寝そべっている。その隣でお茶を一服しながら、正月に生けた壁花入れの一輪の椿を眺め、椿の生い立ちや原産地など思いを馳せた。普段は気づいていないが、正月に使う赤い実の縁起の花木や、農耕儀礼の月見のサトイモやススキなど、生活の節目に四季折々の植物が結び付いている。日本には生活と植物、つまり人は自然の中で生きていることを伝える伝統文化が、今に続いている。そして植物を人類以前の地史の生き証人として、環境の指針として残し続ける義務を感じた。ちなみに夏目漱石は全集に262種類を、万葉集では163種類、源氏物語には111種類の草木が取り上げられている。また、お節料理では、黒豆、栗金団、昆布巻など、持続が可能な伝統的な日本食を再認識させられた。

一方、新聞は「イラン旅客機撃墜、176人全員の死亡事件やオーストラリアの森林火災で数万匹のコアラが焼死し、2016年時点で33万匹が生息していたコアラが、10万匹を切っている。また、水温上昇の影響で2019年の全国のサンマ水揚げ量が前年比66%減の4万517トンだった」など、犯罪や課題の解決を我々に投げかけているようだ。収益と費用だけ考えた利益至上のビジネスでいいのか。AIの積極的な活用の情報至上だけでいいのか。優しい社会の礎になっているのか。新しい文化やテクノロジーが入ってくることで伝統文化が薄らいでいくことを容認していいのか。「本当にこれでいいのか」と。

東北大学川島隆太教授は「初めてこんなに広範な領域に悪影響が出るものに出会いました。子どもたちの記憶の能力自体にマイナスの影響が出ていると予測されます。極端な話ですけれども、法律によって18歳まではスマートフォンを1時間以上使ってはいけないと、強制的におさえてあげるほうが、未来にとっては幸せであろうと考えます。」と指摘している。つれづれな一日だった。

新聞記事を楽しむ57

~記事に触れ、社会へ関心を深める~

11月30日、小中高生徒から1,021作品の応募があった第6回人吉球磨新聞感想文コンクールの表彰式で、次のように講評を行った。「審査は、『記事に触れ、社会へ関心を深めた内容であるか』を基準に、入選した34作品から5作品を優秀作に選び、その5作品から、【参院バリアフリー工事】の記事を読み、多くの人が一人のために力を合わせる社会が『やさしい社会』をつくると考えを述べた、人吉東小学校6年、犬童一秀君の作品が最優秀作に決まりました。今回の作品には、人吉球磨への思いと日常生活の過ごし方を述べた作品が多く、とても頼もしく、うれしく思いました。今日、無責任でふざけたネット発信が増加し、命を大切に、お互いを尊重し合った、やさしい社会が遠のいていく気がします。「本当にこれでいいのか」と疑問を持ち、静かに考えて行動することが大切になると思います。知ることへの意欲を持ち、地域の良き伝統から生きる知恵(豊かさ)を学んで欲しいと思います。最近の記事に、50%近くの人が本を読まないと書かれていました。『本当にこれでいいのか』と思います。『記事に触れ、社会へ関心を深める』ことを残したい、伝えたい願いが込められた企画です。ぜひ、日ごろから記事に触れ、読みながら自分と向かい合ってください」。
それから4日後の新聞に、【本を読む生徒は高得点】の記事があり、「2018年学習到達度調査(PISA)では、本を読む生徒が高い読解力を示している。小説や物語などフィクションを月数回以上読む生徒の読解力の平均得点は531点で、そうでない生徒より45点高かった。新聞を同様の頻度で読む生徒は33点、漫画では29点、そうでない生徒の平均得点を上回った。しかし、活字に親しむ機会は09年調査に比べ、各国で少なくなっている。目立ったのは、雑誌と新聞を読む時間で、月数回以上読む日本の生徒は、雑誌が33.8%減の30.8%、新聞は36.0%減の21.5%だった。漫画についても、17.5%減の54.9%だった」と書かれていた。

新聞記事を楽しむ56

~ツワブキを眺め 自答してみた~

10月31日、首里城が火災に遭った朝、沖縄の友人に電話すると「また無残な姿になってしまいました。無念です」と悲痛な思いが伝わってきた。どうすることもできないもどかしさと深い悲しみを感じた。その時、ネット上には「私のたばこが原因で首里城に火災が発生しました」とふざけた動画の投稿があり、この行動と、これを自由にネットに発信を許可する企業の姿勢に怒りを覚えた。
その日から、災害が多発する要因は何か。今、生きている我々は誠実なのか。公平なのか。過去の人々の努力と未来への人への橋渡しを考えて行動しているのか。私の時代だけを考えてはいやしないのか。と自問しながら9日が過ぎた。その日の朝、庭に咲く黄色いツワブキの花を眺めながら、二つのことを思い浮かべ自答してみた。

一つは、球磨の山々を歩く途中「森は人間が利用するためにあるというのは事実だ。だが森には商業的な利用だけでなく、美的な利用もある。一部の人が物質的に利用するためだけではなく、みんなの心を磨く精神的な財産の利用があるのではないか」と感じた。二つは、11月8日の新聞、放浪詩人の高木護さんを悼む記事に「ある寒い夜、木の葉をかけて寝ていると、突然猪が近づいてきた。襲われると思い動かないでいた。猪は鼻を鳴らして嗅いでいたが、やがて立ち止まって、後ろ足で落ち葉を何度も体に掛けてくれた。猪が自分を仲間だと思い、寒いから葉をかけてくれたのだ。そのとき涙が流れ仕方なかった」と逸話が語られていた。

この2つから、「私たちは、ご飯と同じように美も必要としている。疲れたときに癒され、元気をもらえる自然に満ちた場所と、自然の仲間たちを大切にする思い、つまり自然を意識した生活が必要では」と自答した。また、高木護さんは「自然にいるとわかりますが、人間が生き物で一番横着で堕落しています。自分が偉いと信じていますが、思い違いもいいところです」と述べていた。

新聞記事を楽しむ55

~記事と観音さんと幸野溝から~

9月25日の記事、グレタさん(16)が国連本部で開かれた「気候行動サミット」で演説した文「あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない」を読み、グレタさんの頼もしい考えに感動した。しかし3日後の記事「『ふざけた組織』関電20人に3億2000万円」では、悲しくなってしまった。そんな複雑な気持ちの時、21日に書いた三十三観音菩薩巡りの文を読み返してみた。
「9月21日の朝、相良三十三観音菩薩巡りに出発した。今年はお堂造りや各観音菩薩さん(聖観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音)の表情から、自らの生き方を豊かにするきっかけを求めた旅にするため、事前に数冊の書物を読んだ。廻る途中で、木々の中のお堂と観音菩薩さんの表情が調和し合い、自然を感じ、自然への畏敬の念が湧いてきた。また、地域の方々が観音菩薩さんを大切に守り、それぞれに心通う料理で、あえて説明を少なく、謙虚なおもてなしに、人の縁のすばらしさも感じた。そして、秋時観音・宮原観音・中山観音・上里の町観音・宝陀寺観音・城泉寺へお参りする道筋に、こうこうと流れている幸野溝があった。しばらく眺めながら、事前に読んだ「湯前町史」の中に【幸野溝の開鑿(開削)】の歴史の一文、『高橋政重は二十三代藩主、相良頼福に幸野溝工事再開を訴願した。しかし藩主は許さなかった。今や政重は孤立無援であった。蜿々と掘り上げた溝筋や堤防、破壊し尽くした井堰や樋門、再び荒野に還ろうとしていた。彼は三度立ち上がった。自ら文蝶を作り、自ら郷村を巡って幸野溝の開鑿の可能性を訴え、その必要性を力説した。人の真心というものは誠に尊いものであり、熱心というものは恐ろしいものである』を思い出した。当時の人たちは損得では仕事はしなかった。後々のために。道理が常に土台であった。「自然、人の縁、道理」と書いていた。

新聞記事を楽しむ54

~三人にお会いしたい気持ち~

きょうは13日、十五夜。朝から縁側に、すすき、彼岸花を生け、さと芋、から芋、柿、栗を枡に入れ、小皿に月見だんごを乗せ、お盆に盛り付けてお供えした。そして、庭に咲く白い彼岸花をゆっくり眺めていると、今読み続けている「巨眼の男、西郷隆盛」のこともあってか、奄美大島で命あふれる絵を描き続けた画家が思い浮かんだ。

それは「奄美大島にあったハンセン病のひとが入院する病院に、むりやり入院させられた少女が、入院した日、お母さんは『いつもおまえのことを思っている』と一枚の写真を渡した。少女はポケットにその写真を入れ、いつも身体から離さなかった。寂しくなるたびに少女は、写真を取り出し話しかけていた。そして、『ほら、もうお母さんの顔が、よくわからなくなった』と、少女は古くなり、黄ばみ、手あかで汚れた写真を画家に見せた。画家は『ぼくにこの写真を、貸してくれない』と笑い、いいことを思いついた。画家はこの写真をみながら、お母さんの絵を描いた。少女は病院の玄関に立って画家が来るのを待ち続けた。数日後、画家は少女が高い熱で眠り続けた横で、『ほら、約束どおりできたよ』と少女の目の前にかざした。少女は、ベッドの横に立っている画家に『ありがとう』といった。奄美大島で紬の泥染めの仕事や大工仕事をしながら、ひたすら自分の描きたい絵を描きつづけた画家、【アダンの画帖】の田中一村。

また、奄美大島の龍郷村で西郷隆盛と暮らした妻、一家3人のなごやかな明け暮れをよろこびつつ、吉之助(隆盛)がいつか鹿児島に呼び戻される日がくるのを、覚悟していた。彼女は毎朝、吉之助の髪をくしけずり、髷をととのえてやる。そのとき抜ける頭髪を集め置き、その毛玉は吉之助の形見として残していた愛加那。お母さんに、少女に、家族に愛を届け続けたつつましい三人に、お会したい気持ちがこみ上げてきた。しばらくして、「十五夜の朝刊」を手にして読んだ。

新聞記事を楽しむ53

~インターハイの試合を観戦して~

8月5日の朝、南九州インターハイ、バドミントン競技個人戦、男女単複の準決勝、決勝が行われる八代トヨオカ地建アリーナの体育館の観覧席前に、前日まで掲げられていたバドミントン部保護者一同の黄色い八代東高校の部旗が、「克己」(自分に打ち勝つ。心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえるの部旗)に掛け替えられた。この瞬間をステージの本部席から見て、胸に深い感動を覚えた。45年前、放課後は体育館が使用できず、時には同じ生徒なのに「なぜ体育館が使えないの」と涙しながら、毎朝6時から練習していたバドミントン同好会時代の部員が考えた「克己」の言葉で、つい当時の思いがこみ上げてきた。

また、隣で一緒に記録進行の業務を担当していた同校OBから「先生、あの部旗『克己』は二代目です。初代目は古くなったので、ケースに入れ体育館で保管してあります」と心温まる言葉もあった。OBたちがこの光景や話を聴くときっと感激するに違いないと思い、男子個人複の浦・野田選手の準決勝と男子個人単、野田選手の決勝をステージから観戦した。

その結果は翌朝、8月6日の新聞記事に「野田(八代東)準優勝、『やれることはやった。周りもしっかり見えていたし、幸せな時間でした。相手の奈良岡選手とは中学時代1度対戦したが、いいようにもてあそばれた。決め急いでしまった。でも、ノータッチエースなど前より成長したところも見せられたと思う。同じメダル2個は嫌だったし、高校生活の集大成の大会で最後に一番良い成績を残せました』」と試合後の野田統馬選手のコメントがあった。また、男子個人複3位、浦降斗選手の「全力で向かってきた相手に対して動きが止まった。地元の応援に応えられず悔いが残る」とのコメントもあった。親子鷹の選手や寮生活で日本一を目指す選手の素晴らしい試合の運営と創部当時の思いを伝えられている現監督への感謝の10日間だった。


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